研究内容

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「遺伝子発現の可塑性を読み解く」

私たちの研究室では、生命現象の根幹である遺伝子発現における可塑性に着目し、その分子機構の解明に取り組んでいます。細胞が環境の変化に柔軟に応答し、適切な機能を維持し続けるためには、遺伝子発現のきめ細かな制御が不可欠です。その制御の中心を担うのが、転写と翻訳という二つの段階です。

20世紀末から21世紀初頭にかけて、世界中の研究者たちによって転写因子やエピジェネティクス制御因子が次々に同定され、転写による遺伝子発現制御の全体像は、現在ではかなり明瞭になりつつあります。これにより、細胞がどのようにして特定の遺伝子を「オン」あるいは「オフ」にするか、その選択の論理と分子基盤が理解されてきました。

一方で、mRNAが生成された後、それがどのように翻訳され、実際にタンパク質として細胞内に現れるかという「翻訳制御」については、いまだ多くの謎が残されています。特に、翻訳過程が単なる情報の読み取りではなく、細胞の状態に応じて遺伝子発現を微調整(fine-tuning)する重要な段階であることが近年強く示唆されています。

私たちの研究室では、細胞が置かれた生理的な環境(たとえば発生や分化の場面)と、病態生理的な環境(がんや慢性炎症など)とで、翻訳制御機構がどのように変化し、同じmRNAから異なるタンパク質合成の動態が導かれるのかを明らかにしようとしています。これは、単に遺伝子の“有無”ではなく、発現の“質”や“強さ”を精密に制御する「可塑性」の本質に迫る試みです。

翻訳という領域は、いままさに新たな分子機構の発見と技術革新が進行中のフロンティアです。私たちはこのフロンティアに挑戦し、生命現象のダイナミズムを理解することで、将来的な疾患の診断や治療の新たな糸口を切り拓いていきたいと考えています。

2
「細胞内代謝の可塑性を読み解く」

私たちの研究室では、「細胞内代謝の可塑性」というテーマのもと、生命活動を支える代謝経路の柔軟な再構築メカニズムを探求しています。特に私たちが注目しているのが、アミノ酸、核酸、脂質の合成、さらにはエピジェネティックな修飾にまで関与する、「one-carbon metabolism(一炭素代謝)」と呼ばれる中心的な代謝ネットワークです。

一炭素代謝は、葉酸サイクルやメチオニンサイクルなどを含み、細胞が必要とする“ビルディングブロック”やメチル基供与体を供給することで、発生や分化、さらには腫瘍形成の場面において極めて重要な役割を果たします。興味深いことに、この代謝経路は静的ではなく、細胞の種類や環境、発達段階によってその構成や流れが大きく変化する“可塑的”な性質をもっています

私たちはこの代謝の可塑性を、生化学的視点から精密に解析するだけでなく、細胞培養モデルや遺伝子改変マウス(ノックアウトマウス)を活用し、in vivoでの代謝動態とその生理的意義を明らかにしようとしています。たとえば、特定の一炭素代謝酵素を欠損させた細胞やマウスを用いることで、発がん、幹細胞の運命決定、免疫制御など、多彩な生物学的プロセスにおける代謝の役割を可視化する試みに取り組んでいます。

また、最新のメタボローム解析やアイソトープトレーシング技術を取り入れることで、従来はブラックボックスとされてきた代謝経路の流れを高解像度で捉えることが可能になりつつあります。これにより、代謝の可塑性がどのように細胞の適応性や病態進展に寄与するかという根源的な問いに挑んでいます

本研究室では、生化学・分子生物学の基礎からマウス個体レベルでの解析まで、幅広いスケールの研究に携わることができます。代謝というダイナミックな生命活動の根幹に興味を持つ大学院生や留学生の皆さんと、ぜひ一緒にこの魅力的な研究フィールドを切り拓いていきたいと願っています。

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「細胞・組織の可塑性を読み解く」

私たちの研究室では、細胞や組織が本来の状態から柔軟に変化する「可塑性」、とくに「脱分化(dedifferentiation)」の分子機構とその生物学的意義に焦点を当てた研究を展開しています。分化細胞が再び未分化状態へと戻る脱分化は、組織修復や再生の場面で重要な役割を果たす一方で、がんや線維化など病的プロセスにも深く関与しています

私たちの研究室では、転写調節因子を用いて脱分化を高効率かつ再現性高く誘導できる独自技術の開発に挑戦してきました。このプラットフォームを活用することで、肝臓・腎臓・歯など、臨床的に再生医療ニーズの高い組織における幹細胞様細胞の誘導や、再構築可能な細胞状態のモデリングを実現したいと考えています。

しかし私たちの研究の本質的な関心は、再生医療そのものではなく、むしろ脱分化という現象が病態生理、とりわけ「がん化」という重大な転帰とどのように関係しているのかを解き明かすことにあります。細胞はなぜ、いつ、どのようにして自らの運命を手放し、異常な増殖を始めるのか?これは、現代生命科学における根源的な問いのひとつです。

がん幹細胞仮説や可塑性細胞状態の概念が注目されるなかで、私たちは脱分化の初動段階こそが腫瘍形成のトリガーとなる可能性に着目し、これまで開発してきた脱分化制御技術を駆使して、がん化の「始まり」を実験的に再現・解析する研究を進めています。転写ネットワークの再構築、エピジェネティックな地形の変化、そして微小環境との相互作用——そうした多層的な視点から、脱分化と腫瘍化をつなぐ因果関係に挑みます。

この分野は、再生医学、がん生物学、細胞工学といった複数の研究領域を横断し、独創的な問いに対して多角的に取り組める醍醐味があります。細胞の運命転換を自在に操り、その背後に潜む秩序と破綻の論理を見極めたい。そうした熱意ある大学院生・ポスドクの皆さんにとって、本研究室は挑戦と発見のフィールドとなるはずです。

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「希少糖の未知の生理作用を解き明かし、未来の医療へ」

希少糖とは、自然界にごくわずかしか存在しない単糖の総称で、その中でもアルロース(D-allulose)やアロース(D-allose)は、構造はシンプルでありながら、生体内で予想を超える多様な作用を発揮する可能性を秘めた分子です。近年、希少糖の血糖抑制作用や抗酸化作用などが報告される中で、その本質的な生理機能や作用メカニズムはいまだ未解明の部分が多く、まさに“フロンティア”の領域といえます

私たちの研究室は、これまで数十年にわたり、希少糖に関する研究を一貫して続けてきた伝統を受け継いでいます。先代および先々代の教授たちは、アルロースやアロースが細胞に及ぼす影響、取り込み機構、シグナル伝達経路への関与など、多岐にわたる領域において先駆的な成果を挙げてきました。その業績の積み重ねは、今日の希少糖研究の基盤となり、国内外に多大な影響を与えてきました

私自身も、こうした偉大な先人たちの努力と情熱に深く敬意を抱きつつ、この研究室を引き継ぎました。そして現在、先人たちが築いた知の基盤の上に、新たな視点と技術を加えたアプローチに挑んでいます。具体的には、希少糖がエピジェネティック制御や細胞代謝ネットワークに与える影響を精密に解析することにより、これまで知られていなかった生理機能を明らかにしようとしています。

私たちの研究の最終的な目標は、希少糖の作用メカニズムを分子レベルで解明し、それをがん、糖尿病、慢性炎症などの疾患の予防・治療法として応用することにあります。さらに、最新の細胞工学・オミクス解析を駆使して、希少糖が持つ潜在的な医療的価値を体系的に検証し、基礎から臨床応用へとつながる“橋渡し研究”のモデルケースを築くことを目指しています

この希少糖という分子には、まだ誰も見たことのない「生理の深層」が秘められています。私たちは、代替甘味料としてではなく、「生理活性物質」としての希少糖の本質を明らかにし、未来の医学に新たな視座をもたらしたいと考えています。次の世代に受け継がれる新しい発見を、この研究室から生み出すこと。それが私たちの使命です